
寺院コラム『私の体験』
東京 会社 支社長 高木法智
平成十四年八月十八日
私は現在四十二歳ですが、高校生の頃から、毎日金縛りに会うようになり、それは二十歳ぐらいまで続きました。
その後は、時々金縛りに会うぐらいで、慣れてしまい、あまり気にしていませんでした。
しかし、今年のゴールデンウイーク前から、また金縛りに会うようになり、日ごとに、霊からの攻撃が激しくなりました。
就寝前に、気配を感じ金縛りにかかる前は、パチパチ音が始まり、寝ているベットの頭の下のスプリングを叩いたり、頭を触ったりし、そのうち昼間でも私の部屋以外でも、気配を感じパチパチ音がしたり、ドンガンと、音がするようになりました。
五月二十八日の日だと思いますが、四時半に目が覚めトイレへ行き、またベットで体の左側を上にして寝ようとしたところ、霊が現れ、金縛りをかけてきました。
金縛りには、かからなかったのですが、上にしている体の左側に、電気が走ったようにビリビリとなる事が暫く続くことが、三回ありました。
あまりにエネルギーが強いのか、両隣の家が起きたようで、雨戸を開ける音がしました。その日は、一日中体の左側が腫れていました。
その次の日も、同じ事が起きました。そこで、以前金縛りの体験があると言っていた会社の部下である、野頭さんに相談したところ、鹿児島に力のある住職さんがいるので、相談した方が良いとの話でした。
そして、お守りになるとの事で、その日は、先生の名刺を貸してもらい、家に帰りました。
その日、霊は現れませんでした。
翌日、昼間、会社から家に電話したところ、誰も触っていないのに、台所のコップが下に置いてある消化器に落ちて、部屋中に消化器の粉が撒かれる事件が起こりました。
その日の夜、家に着き、先生の名刺を机に置いたところ、男の唸る声が二回聞こえました。
その日の夜も、霊は現れませんでした。
この事により、先生には、何か特別な力があり、是非、力を貸して頂きたいと思いました。
その後、野頭さんが先生に連絡を取ってくれました。先生の指示通りに家、部屋の写真を撮り、また間取りを送ったところ、やはり悪霊が居るとの事で、除霊するのは簡単ではないとの返事でした。
私の先祖は、武士で現在住んでいる神奈川の地で、大虐殺を行ったそうです。
その時、殺された人々の霊が、私を攻撃しているとの事、私は六歳まで東京に住んでいましたが、父親が、どうしても神奈川のこの地に住むと言って、引っ越しました。
因縁で霊に呼ばれ、この地に住んだようです。
その後も先生との連絡は、野頭さんが取ってくれました。
野頭さんの話では、先生は六月十五日に寺に戻るので、その日に霊を払ってくれて、六月二十一日に私の家に来てくれる。
とりあえず、寺では毎日、家払いをしているのでよくなるとの事でした。
しかし、この事は後で誤解だと分かります。
名刺のパワーもだんだんと無くなり、また霊の攻撃が激しくなってきましたが、とりあえず六月十五日までだと思い、二週間頑張ろうという気持ちでいっぱいでした。
しかし、六月九日の日曜日の朝から家中の重力が重くなり、押し潰されそうな強力なパワーが発生しました。その時は両親もぐったりしていました。
野頭さんからは、何かあったら南無大師遍照金剛と言う様に紙を渡されていました。
このままではヤバイと思い、南無大師~を唱えました。
すると、私は右肩を銃で撃たれた様な痛みを受け「もはやこれまで、」と思って椅子に座ったところ、背中で木を叩く音がコンコンコンコンと鳴り始めました。
何だ何だと思っていたら、屋根の上をゴロゴロと霊が転がり落ちる音が二回しました。その後は、スーッとパワーが無くなりました。
その時、助かったという気持ちでいっぱいでした。
この事により、私はお寺から何らかの助けがあったと思い、いつか鹿児島へ行ってみたいと思うようになっていました。
霊からの攻撃は相変わらず続き、毎日の睡眠時間は二時間ほどになっていました。
東京の会社で営業中も、だんだんと霊の気配を感じる様になり、電車の中でパチパチ音かしたり、タバコを持っている手をグッと押さえたりする様になりました。
しかし、なぜか箱崎のエアーシティーターミナルのホテルのロビーに居ると、攻撃も気配も無い事から、ここは安全だと思い、ここで仮眠を取る様になっていました。
そして、いよいよ六月十五日になりました。
その日は気配はあるものの、攻撃はありませんでした。
次の日の日曜日は、一日中強い攻撃を受け、何度か気を失いそうになり、やはりダメかと思いました。
翌日の月曜日午前中、部下との営業同行を終え、同僚二人と、蕎麦屋に食事に行こうと歩いている時、また強い攻撃を受け、何度か気を失いそうになりましたが、何とか蕎麦屋の二階の座敷に、たどり着きました。
その時からは、後頭部を集中的に攻撃してくる様になりました。
私はどうにかしようと思い、野頭さんの携帯に連絡を入れましたが、遮断され繋がりません。
そこで、同僚に頼み野頭さんへ連絡をしてもらい、蕎麦屋の二階に来てもらいました。
私は、野頭さんへ、「今強い攻撃を受けている、とても先生が来る六月二十一日までは、持たない」と言いました。
彼は、すぐにお寺へ連絡を入れましたが、二十一日に先生が来られるのは誤解であり、二十一日間は霊がさまようので、南無大師~を唱えるしかない事を知り、愕然としました。そこで、私は「鹿児島へ行けば救われるか」と聞けば、「力のあるお寺なので、必ず救われます。」との返事でした。
私は、その場で鹿児島へ行く事を決意し連絡を取ってもらいました。
しかし、野頭さんからは、「一つ問題があります。お寺には携帯の充電器が無いので、困ります。」と言われました。
私は、前日の攻撃が激しかったので、今日は、自分にとって安全な所である箱崎のホテルに泊まろうと思い、携帯の充電器を持って来ていました。
これは、すぐにお寺に行け、という意味だと思いました。
羽田へは野頭さんが同行してくれました。
羽田では飛行機のチケットを買おうとタッチパネルを押しても、反応しません。
仕方なく係員にパネルを押してもらいチケットを購入しました。
持ち物検査のゲートでは、金属を全て外しているのに、ピンポンがん鳴り続け、どうしても霊が行こうとしてくれません。
何回かゲートを通りましたがダメで最終的に係員が、全身を手でチェックしてOKとなり、やっと飛行機に乗る事が出来ました。
鹿児島へは、約二時間の飛行ですが、飛行機が離陸した直後から、また、後頭部の集中攻撃が始まりました。
南無大師~を唱えましたが、だんだん言えなくなり、気が遠くなり始めました。
そこで、野頭さんが書いてくれた南無大師~の紙を右手に持ち、読み上げる様に何回も唱えましたが、約一時間が過ぎた頃から、意識を失いそうになりました。
もう一時間は持たないと思った時、なにげに左手を後頭部に当てたところ、左手を後頭部に当てたところ、左手の甲がビリビリして、攻撃を手で防げる事が分かりました。
そこで、手で後頭部を防ぐと、前頭部の攻撃となるのですが、後頭部が狙いだと分かった為、フェイントをかけながら先生の名刺を左手で持ち、後頭部の攻撃を防ぎ、右手で南無大師~の紙を持ち、読み上げていたところ、少しずつ意識が戻ってきました。
その状態で鹿児島に着きましたが、まだ迎えは来ていませんでした。
三十分程たった時、三人の尼さんが見えました。そばまで行き、「高木です。」と言って尼さんがこちら見た時、スーッと霊が離れ攻撃が無くなりました。
その後、市内のラーメン屋さんで、先生に会う事となりました。
尼さんからは、「先生に会ったので安心して下さい。」といわれました。
不思議な事に、もう全く攻撃が無く安心感で一杯なのに、先生に対する不信感があったのを覚えています。
後で分かった事ですが、これは、霊が私にそう思わせていた事でした。
寺に着いてからは、不思議な事でいっぱいでした。
まず、山の麓から、男の人の声でお経がずっと聞こえていました。
何度か「誰かお経をあげていますか?」と質問しましたが、誰もあげていないとの事。
これは二日間続きました。その夜、先生からは、「三日で元気になれる。」と言われました。
また、急に霊の攻撃が強くなったのは、二十歳を過ぎた頃からは、霊が寝ている状態になっていて、最近、私が会社での行いが悪く、人の生霊が入りそれが原因で、元の霊が目を覚まし攻撃をしてきている。
という話、他に色々な為になる話を聞きましたが、私の頭の中は錯乱状態になり、自分の意志とは別に色々なものが頭に浮かび、人の話が良く聞けない状態でした。
自分の意識は、左目縦に一センチしかなく、他は色々なものが頭の中を支配していました。
これは、霊が出て行く状態である事を後で知りました。それから、私が鹿児島へ行く決意をせず、箱崎のホテルに泊まっていたら、死んでいたとの話を聞きました。
私自身、死を意識したので本当にギリギリのところだったのだなと思いました。
その後、就寝しようと横になった瞬間、窓からキラキラしたものが入って来ました。
続いて、黒いものが私の体の中に、どんどん入って来る不思議な現象がありました。
それは朝まで続き、とうとう一睡もする事ができいませんでした。
また、初めて本堂に行き、お経をあげるのを体験した時、手を合わせて祈っていると急に体に回りが赤く燃え出しました。
「うわっ、何だこれは!」と思って薄めを開けてみると、やはり全身が真っ赤に燃えていました。
すると背後に人が近づく音がして、私の後ろにシャキンと鈴のようなものを置いていきました。
その後、本尊の大日如来様を見ると、目をパチッパチッと目を閉じるところを見ました。
「ウワァー生きている。」と思い、もう一度見ると、またパチッと目を閉じるところを見ました。後から考えると、これは助けてあげるという意味だったと思います。
その後、色々と修行を積むのですが、二日目の午後は水行に行きました。
新月さんが水行を行っていて、私が南無大師~を唱えていると、私の背後に、森の中から沢山の人達が集まってきて、何かを話している声が聞こえました。
それは、今まで聞いた事のない言葉でした。すると、足元にキラキラした犬の様な姿をしたものが現れてきました。不思議でした。
二日目の夜、就寝しようとしたところ、また黒いものが、どんどん私の身体の中に入ってきました。
このまま意識を失い自分が別の人間になってしまう様な恐怖感が出てきました。その気持ちはどんどん強くなり、次の日、先生が家払いに出かける時、私はかなり辛い状態になり、自分が騙されていると思う様になり、寺を出ようとしました。
その時、新月さんが現れて引き留めてくれました。
新月さんの説明によると、私は霊によって沢山のものが溜まっていて、今これが、どんどんと出てきているところだと言うのだ。
しかし、霊の方も出て行くのが嫌な事から、逆に私の頭に入って来る様な錯覚を起こさせているとの事。
今はかなり辛い状態だが、これを乗り越えなければならない。
今、山を降りると精神病院に行って死ぬだけだ、と説得されました。
その事を理解するのに一時間程たっちましたが、それを理解してからは、今度は、自分の身体から、どんどん、いろんなものが出て行くのを感じる様になりました。
背中や腰から、どんどん出てきます。
しかし、頭の中は出が悪く、その日の夜に、先生と話している時に頭の中から抜けて行くのが分かりました。
今まで自分の頭を支配しているものが抜けて行き意識がハッキリしてきました。
最後は、目の奥に残っているものが、朝には抜けていました。
三日目が過ぎ、先生の話の通り、私は元気になりました。
四日目には得度し、りっぱな「法智」という名を頂きました。
私は、全く仏教の事は知らず、助かりたい一心で、鹿児島まで逃げてきました。
しかし、何も知らない私を先生及びお寺の方々は、助けてくれました。
命の恩人です。
深く皆様には感謝しております。
私が、お寺に来る事により霊はいなくなり、また修行によって、自分自身を取り戻す事が出来ました。
私は東京に帰って、この体験を人々に話し、困っている人がいたら国見山大国寺へ行く様に導く事が私の生きる意味だと思いました。
東京に帰ってからは、先生に言われた通り実家には帰らず、一週間、野頭さんの家にお世話になってから、ひとり暮らしを始めました。二十一日間が過ぎるまでは、まだ残っている細かい霊によって弱い攻撃がありましたが、二十一日間が過ぎてからは全く何も起こっていません。
しかし、これからは、油断しないで生きてゆくつもりです。
毎日、般若心経だけは、かかさず続けています。
平成十四年八月十八日
私は現在四十二歳ですが、高校生の頃から、毎日金縛りに会うようになり、それは二十歳ぐらいまで続きました。
その後は、時々金縛りに会うぐらいで、慣れてしまい、あまり気にしていませんでした。
しかし、今年のゴールデンウイーク前から、また金縛りに会うようになり、日ごとに、霊からの攻撃が激しくなりました。
就寝前に、気配を感じ金縛りにかかる前は、パチパチ音が始まり、寝ているベットの頭の下のスプリングを叩いたり、頭を触ったりし、そのうち昼間でも私の部屋以外でも、気配を感じパチパチ音がしたり、ドンガンと、音がするようになりました。
五月二十八日の日だと思いますが、四時半に目が覚めトイレへ行き、またベットで体の左側を上にして寝ようとしたところ、霊が現れ、金縛りをかけてきました。
金縛りには、かからなかったのですが、上にしている体の左側に、電気が走ったようにビリビリとなる事が暫く続くことが、三回ありました。
あまりにエネルギーが強いのか、両隣の家が起きたようで、雨戸を開ける音がしました。その日は、一日中体の左側が腫れていました。
その次の日も、同じ事が起きました。そこで、以前金縛りの体験があると言っていた会社の部下である、野頭さんに相談したところ、鹿児島に力のある住職さんがいるので、相談した方が良いとの話でした。
そして、お守りになるとの事で、その日は、先生の名刺を貸してもらい、家に帰りました。
その日、霊は現れませんでした。
翌日、昼間、会社から家に電話したところ、誰も触っていないのに、台所のコップが下に置いてある消化器に落ちて、部屋中に消化器の粉が撒かれる事件が起こりました。
その日の夜、家に着き、先生の名刺を机に置いたところ、男の唸る声が二回聞こえました。
その日の夜も、霊は現れませんでした。
この事により、先生には、何か特別な力があり、是非、力を貸して頂きたいと思いました。
その後、野頭さんが先生に連絡を取ってくれました。先生の指示通りに家、部屋の写真を撮り、また間取りを送ったところ、やはり悪霊が居るとの事で、除霊するのは簡単ではないとの返事でした。
私の先祖は、武士で現在住んでいる神奈川の地で、大虐殺を行ったそうです。
その時、殺された人々の霊が、私を攻撃しているとの事、私は六歳まで東京に住んでいましたが、父親が、どうしても神奈川のこの地に住むと言って、引っ越しました。
因縁で霊に呼ばれ、この地に住んだようです。
その後も先生との連絡は、野頭さんが取ってくれました。
野頭さんの話では、先生は六月十五日に寺に戻るので、その日に霊を払ってくれて、六月二十一日に私の家に来てくれる。
とりあえず、寺では毎日、家払いをしているのでよくなるとの事でした。
しかし、この事は後で誤解だと分かります。
名刺のパワーもだんだんと無くなり、また霊の攻撃が激しくなってきましたが、とりあえず六月十五日までだと思い、二週間頑張ろうという気持ちでいっぱいでした。
しかし、六月九日の日曜日の朝から家中の重力が重くなり、押し潰されそうな強力なパワーが発生しました。その時は両親もぐったりしていました。
野頭さんからは、何かあったら南無大師遍照金剛と言う様に紙を渡されていました。
このままではヤバイと思い、南無大師~を唱えました。
すると、私は右肩を銃で撃たれた様な痛みを受け「もはやこれまで、」と思って椅子に座ったところ、背中で木を叩く音がコンコンコンコンと鳴り始めました。
何だ何だと思っていたら、屋根の上をゴロゴロと霊が転がり落ちる音が二回しました。その後は、スーッとパワーが無くなりました。
その時、助かったという気持ちでいっぱいでした。
この事により、私はお寺から何らかの助けがあったと思い、いつか鹿児島へ行ってみたいと思うようになっていました。
霊からの攻撃は相変わらず続き、毎日の睡眠時間は二時間ほどになっていました。
東京の会社で営業中も、だんだんと霊の気配を感じる様になり、電車の中でパチパチ音かしたり、タバコを持っている手をグッと押さえたりする様になりました。
しかし、なぜか箱崎のエアーシティーターミナルのホテルのロビーに居ると、攻撃も気配も無い事から、ここは安全だと思い、ここで仮眠を取る様になっていました。
そして、いよいよ六月十五日になりました。
その日は気配はあるものの、攻撃はありませんでした。
次の日の日曜日は、一日中強い攻撃を受け、何度か気を失いそうになり、やはりダメかと思いました。
翌日の月曜日午前中、部下との営業同行を終え、同僚二人と、蕎麦屋に食事に行こうと歩いている時、また強い攻撃を受け、何度か気を失いそうになりましたが、何とか蕎麦屋の二階の座敷に、たどり着きました。
その時からは、後頭部を集中的に攻撃してくる様になりました。
私はどうにかしようと思い、野頭さんの携帯に連絡を入れましたが、遮断され繋がりません。
そこで、同僚に頼み野頭さんへ連絡をしてもらい、蕎麦屋の二階に来てもらいました。
私は、野頭さんへ、「今強い攻撃を受けている、とても先生が来る六月二十一日までは、持たない」と言いました。
彼は、すぐにお寺へ連絡を入れましたが、二十一日に先生が来られるのは誤解であり、二十一日間は霊がさまようので、南無大師~を唱えるしかない事を知り、愕然としました。そこで、私は「鹿児島へ行けば救われるか」と聞けば、「力のあるお寺なので、必ず救われます。」との返事でした。
私は、その場で鹿児島へ行く事を決意し連絡を取ってもらいました。
しかし、野頭さんからは、「一つ問題があります。お寺には携帯の充電器が無いので、困ります。」と言われました。
私は、前日の攻撃が激しかったので、今日は、自分にとって安全な所である箱崎のホテルに泊まろうと思い、携帯の充電器を持って来ていました。
これは、すぐにお寺に行け、という意味だと思いました。
羽田へは野頭さんが同行してくれました。
羽田では飛行機のチケットを買おうとタッチパネルを押しても、反応しません。
仕方なく係員にパネルを押してもらいチケットを購入しました。
持ち物検査のゲートでは、金属を全て外しているのに、ピンポンがん鳴り続け、どうしても霊が行こうとしてくれません。
何回かゲートを通りましたがダメで最終的に係員が、全身を手でチェックしてOKとなり、やっと飛行機に乗る事が出来ました。
鹿児島へは、約二時間の飛行ですが、飛行機が離陸した直後から、また、後頭部の集中攻撃が始まりました。
南無大師~を唱えましたが、だんだん言えなくなり、気が遠くなり始めました。
そこで、野頭さんが書いてくれた南無大師~の紙を右手に持ち、読み上げる様に何回も唱えましたが、約一時間が過ぎた頃から、意識を失いそうになりました。
もう一時間は持たないと思った時、なにげに左手を後頭部に当てたところ、左手を後頭部に当てたところ、左手の甲がビリビリして、攻撃を手で防げる事が分かりました。
そこで、手で後頭部を防ぐと、前頭部の攻撃となるのですが、後頭部が狙いだと分かった為、フェイントをかけながら先生の名刺を左手で持ち、後頭部の攻撃を防ぎ、右手で南無大師~の紙を持ち、読み上げていたところ、少しずつ意識が戻ってきました。
その状態で鹿児島に着きましたが、まだ迎えは来ていませんでした。
三十分程たった時、三人の尼さんが見えました。そばまで行き、「高木です。」と言って尼さんがこちら見た時、スーッと霊が離れ攻撃が無くなりました。
その後、市内のラーメン屋さんで、先生に会う事となりました。
尼さんからは、「先生に会ったので安心して下さい。」といわれました。
不思議な事に、もう全く攻撃が無く安心感で一杯なのに、先生に対する不信感があったのを覚えています。
後で分かった事ですが、これは、霊が私にそう思わせていた事でした。
寺に着いてからは、不思議な事でいっぱいでした。
まず、山の麓から、男の人の声でお経がずっと聞こえていました。
何度か「誰かお経をあげていますか?」と質問しましたが、誰もあげていないとの事。
これは二日間続きました。その夜、先生からは、「三日で元気になれる。」と言われました。
また、急に霊の攻撃が強くなったのは、二十歳を過ぎた頃からは、霊が寝ている状態になっていて、最近、私が会社での行いが悪く、人の生霊が入りそれが原因で、元の霊が目を覚まし攻撃をしてきている。
という話、他に色々な為になる話を聞きましたが、私の頭の中は錯乱状態になり、自分の意志とは別に色々なものが頭に浮かび、人の話が良く聞けない状態でした。
自分の意識は、左目縦に一センチしかなく、他は色々なものが頭の中を支配していました。
これは、霊が出て行く状態である事を後で知りました。それから、私が鹿児島へ行く決意をせず、箱崎のホテルに泊まっていたら、死んでいたとの話を聞きました。
私自身、死を意識したので本当にギリギリのところだったのだなと思いました。
その後、就寝しようと横になった瞬間、窓からキラキラしたものが入って来ました。
続いて、黒いものが私の体の中に、どんどん入って来る不思議な現象がありました。
それは朝まで続き、とうとう一睡もする事ができいませんでした。
また、初めて本堂に行き、お経をあげるのを体験した時、手を合わせて祈っていると急に体に回りが赤く燃え出しました。
「うわっ、何だこれは!」と思って薄めを開けてみると、やはり全身が真っ赤に燃えていました。
すると背後に人が近づく音がして、私の後ろにシャキンと鈴のようなものを置いていきました。
その後、本尊の大日如来様を見ると、目をパチッパチッと目を閉じるところを見ました。
「ウワァー生きている。」と思い、もう一度見ると、またパチッと目を閉じるところを見ました。後から考えると、これは助けてあげるという意味だったと思います。
その後、色々と修行を積むのですが、二日目の午後は水行に行きました。
新月さんが水行を行っていて、私が南無大師~を唱えていると、私の背後に、森の中から沢山の人達が集まってきて、何かを話している声が聞こえました。
それは、今まで聞いた事のない言葉でした。すると、足元にキラキラした犬の様な姿をしたものが現れてきました。不思議でした。
二日目の夜、就寝しようとしたところ、また黒いものが、どんどん私の身体の中に入ってきました。
このまま意識を失い自分が別の人間になってしまう様な恐怖感が出てきました。その気持ちはどんどん強くなり、次の日、先生が家払いに出かける時、私はかなり辛い状態になり、自分が騙されていると思う様になり、寺を出ようとしました。
その時、新月さんが現れて引き留めてくれました。
新月さんの説明によると、私は霊によって沢山のものが溜まっていて、今これが、どんどんと出てきているところだと言うのだ。
しかし、霊の方も出て行くのが嫌な事から、逆に私の頭に入って来る様な錯覚を起こさせているとの事。
今はかなり辛い状態だが、これを乗り越えなければならない。
今、山を降りると精神病院に行って死ぬだけだ、と説得されました。
その事を理解するのに一時間程たっちましたが、それを理解してからは、今度は、自分の身体から、どんどん、いろんなものが出て行くのを感じる様になりました。
背中や腰から、どんどん出てきます。
しかし、頭の中は出が悪く、その日の夜に、先生と話している時に頭の中から抜けて行くのが分かりました。
今まで自分の頭を支配しているものが抜けて行き意識がハッキリしてきました。
最後は、目の奥に残っているものが、朝には抜けていました。
三日目が過ぎ、先生の話の通り、私は元気になりました。
四日目には得度し、りっぱな「法智」という名を頂きました。
私は、全く仏教の事は知らず、助かりたい一心で、鹿児島まで逃げてきました。
しかし、何も知らない私を先生及びお寺の方々は、助けてくれました。
命の恩人です。
深く皆様には感謝しております。
私が、お寺に来る事により霊はいなくなり、また修行によって、自分自身を取り戻す事が出来ました。
私は東京に帰って、この体験を人々に話し、困っている人がいたら国見山大国寺へ行く様に導く事が私の生きる意味だと思いました。
東京に帰ってからは、先生に言われた通り実家には帰らず、一週間、野頭さんの家にお世話になってから、ひとり暮らしを始めました。二十一日間が過ぎるまでは、まだ残っている細かい霊によって弱い攻撃がありましたが、二十一日間が過ぎてからは全く何も起こっていません。
しかし、これからは、油断しないで生きてゆくつもりです。
毎日、般若心経だけは、かかさず続けています。